未来を変える日記

未来を変えたいと願う全ての人に向けて

パレスチナの民族浄化

本との出会い

 2018年12月に訪れた文喫(下にリンク)。

bunkitsu.jp

そこで、目に留まった本の中で、最も読まなそうな本だったので敢えて選びました。( ̄▽ ̄;) 読書に要した時間はカウントしてないのでわかりませんが、読み終わるまでに半年以上かかりました。内容は重かったです。

読まなそうな本を選んだ理由

 目に留まったという点に着目しています。それは、日頃意識できていないが、無意識レベルでは関心あるということ。日頃の関わらない事項で、とっつきにくい話題なのは間違いありませんけれども、私の心は読書を推薦してくれている。

  •    この出会い、良い出会いかもしれません!

 所で、日頃は目に留まらいような本を、誰かから読め!って強制されるケース、ありますよねぇ。例えば、、、、小学校の読書感想文で本が指定されるとか。会社の新人研修で社長の自叙伝の感想文を提出させられるとか。

 この場合は、まぁ・・・苦痛でしょうねぇ( ´艸`)
 意欲とかやる気とかに通じる話かもしれません。

パレスチナの住民が追放されたって話だ!

イスラエル国家となった地域のパレスチナ住民は、1948年に85%が難民となった。2003年初頭にはパレスチナ人の難民と国内避難民は700万人以上に上ると推定されている。

バディール資料センターによる統計資料、本書のp267より

  場所はイスラエル。第二次世界大戦終結(1945年)後、パレスチナの民族浄化計画(ダレット計画)により、多くのパレスチナ人が村を追われることになった。収容や虐待、強姦、収奪を伴っている。そして、その後の地名変更。和平の協議はされているものの21世紀にはいっても先が見えていないそう。

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 1947年~1949年に住民が追放されたパレスチナの村(p

多数派から少数派へ...

 イスラエルは短い歴史の中で1949年と1980年代の2度も、大量のユダヤ人移民によりそれぞれ100万人ほど人口を増やした(建国直後とソ連邦崩壊期)。そのおかげでパレスチナ人の比率は、占領地を除くイスラエル総人口の約20%に抑えられているのである。

p367, 第12章要塞国家イスラエルより

  1920年代当初、パレスチナ人は全住民の80~90%占める多数派であった(本書p32に記載あり)。また、巻末の年表を読むと1922年に国際連盟理事会にてイギリスによるパレスチナ委任統治が承認されたとある。当時の総人口は75万。

 イギリスは、委任統治において、当初、多数決という民主主義を原則に話を進めようとしていたとある(本書p32)。その影響なのだろうか?ほ民族浄化は、直接の記述は無いが、新生ユダヤ人国家としてのイスラエルにおいて国内のアラブ人を少数派にすることが目的とされた民族浄化だったようだ。

国連は分割を決議(国連決議181)

 1947年、パレスチナ特別委員会(UNSCOP)はパレスチナを統一国家とするか分割国家でするか?で思案した後、分割案を国連に提出、採択された。この時点でのパレスチナはアラブ人が圧倒的多数。しかし、人口の3分の1であるユダヤ人側はパレスチナ全土の80%を要求したとの記載がある(p61)。

 本書の巻末に国連決議により示されたパレスチナ国家の分割案が掲載されているが、今日のイスラエルの地図とは随分と異なっている(下の引用画像の左から2番目)。なお、画像はその下のリンク先のNPO法人のページから。

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画像引用元:

ccp-ngo.jp

1948年5月 ⇒ 1949年夏...

ガラリヤ地方を巡回し注意深く見張っていた国連監視団の眼前で、民族浄化の最終段階は1948年10月に始まり、1949年夏まで続いた。上空からも地上からも、北を目指す人の流れが目につかない日はなかった。

p281, 第8章 任務完了より

  追放作戦は、イギリスによる委任統治終了から数週間後(1948年5月)に開始され、大規模なものは1949年夏まで続いたとある。ただ、本書では追放作戦の終わりがはっきりとしない。1982年から2001年の占領(p284)についての記載もある。

 まだ終わっていないという示唆だろうか。。。

虐殺も伴っている

装甲車に乗った兵士は自動小銃や迫撃砲を発砲し、半円状になりながら村に進撃した。通常どおり3方から村を囲み、1時間で6000人を追い出すために東側を開けておいた。上手くいかないとみると、多数の兵士が車両から飛び降り、人々に向けて無差別に銃撃しはじめた。

 p289 第8章 任務完了より

  追放=虐殺とは限らないが、多くの場合、無差別な殺傷を含むことになると筆者。無慈悲な虐殺か否かはわからないが、追放するのだから、引用のような状況が生じるのは必然なのかもしれない。その中で最も酷いものが、ダワーイメの虐殺(p288)であり、国連報告書でも読めるとの記述があった。

 私が、検索してみると、国連のホームページに掲載されている報告書は見つけられなかったが、Wikipediaの記事(下記リンク)からアーカイブ(ReferencesのNo.5)を辿ることができた。 

 アーカイブを開くと、本書に掲載されていたレポートの原文(英文)が読める。

Al-Dawayima massacre - Wikipedia

 Youtubeの動画は、今の様子だそう。何も残っていない。。。。 

youtu.be

土地の名前を変える

この命名委員会は、すでに1920年には事実上活動していた古い組織で、ユダヤ人が新たに購入した土地や場所にヘブライ語名をつける学者の集団だった。そして、ナクバの最中に武力で奪った土地や場所についてもその活動を続けたのだった。

p332, 第10章 ナクバの記憶を抹殺する

  パレスチナ人追放後の1950年代から60年代にかけては土地を没収。その跡地には国立公園を作り、地理をヘブライ化するため、土地や場所にヘブライ語名をつける命名委員会が活動したとある。

 土地の名前とは、その土地の歴史などに基づいて名付けられるものだが、そうした歴史的エピソードなどが巧妙に創作され、その土地に代々住んだパレスチナ人の痕跡を隠していると著者は指摘している。

 一方で改名に失敗した例も。村の名前で「サターフ」を「ビクラ」と改名しようとしたが、既にユダヤ人の間で「サターフ」が浸透していて改名を断念したそうな。

読み終えて

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400頁近くのハードカバー本で読みごたえタップリ

 本書を手に取った経緯、そして本書から学習した内容を駆け足で紹介した。
 本書だけでの判断は難しいが、各章には引用元の文献などが細かく細かく記載されており、学術的な調査の入り口あるいは案内役にはなりえる文章だと私は思った。加えて、今までの人生を、こうした歴史に無関心に生きていたことを少々恥ずかくも思ってしまった。

 テレビなどのメディアで放送されることは今後も無いかもしれないし、ネットを巡回して出会う可能性も少ないかもしれない。こうして関心を持ったても、できることもあまりないかもしれないが、少なくともこうしてブログに掲載し、貴方にも関心を持ってもらうことを…願うことならできる。

 本書との出会いは非常に良い出会いであったと思う。 
 ありがとうございました。

 次はこの本を読みます。